桑畑洋一郎のブログ

自己紹介めいたものはhttps://yoichirokuwa.hatenablog.com/entry/2022/01/21/130841にて。

回帰なのか何なのか

一昨年(年度で言えば昨年度)出た『ジレンマの社会学』で、「特定の集団への悪感情をどう考えるか」って章を分担執筆したんだけれども。

 

 

卒論の時からハンセン病の研究をしてきてよく目にしてきてた、「ハンセン病は外見に変化が現れる病気なので差別を招いた」だとか「外見が変化してる患者さん目にした時はギョッとしたよね」なんて話がずっと頭に残ってて。「まあそういうのはあったんだろうな」と思いながらも、「でもそもそも、自分と違う見た目の持ち主を見た時になぜギョッとするんだろう」ってことが不思議な気がしてならなかったわけである。「分からなくはないんだけれども、何でそれがそこまで説明として用いられるの…?(しかもハンセン病差別をなくそうとしている人や当事者からすら)」的な。

もちろん別に、「そういう感情を持つべきではない」とかそういう話をしたいわけではなく、「感情が語られるのってどういう機能があるのかな」とか「そもそも感情って何に由来してんのかな」とか、そういうことが、学部生の時からずっと気になっていて。でもそれを論文にすることもできず、ずっとそのまま。

と言った感じで過ごしてきてたんだけど(卒論出したのが2002ねんだから、15年以上もやもやしていたわけか)、この『ジレンマの社会学』のお話をもらった時に、(上記のようにずっともやもやしてた)「負の感情」について社会学的に考えられないかなと思い、編者の先生たちに「ずっと昔から気になってたことで、こんなこと考えられないかなってのがあるんですけど」とか話しながら書き上げた感じであった。

んで、話は変わるけれど、今日また別の本の原稿を書き上げて提出したんだけど、そのテーマもまた、ずっと昔から「気になるわー」と思いながら論文とかにはしてこなかったものだったりする(公になるのはまだ先のことになるだろうから、具体的には書けないけど)。

「三つ子の魂百まで」とはまた違うんだろうけど、昔からもやもやしていて、でも研究の形にはできなくて…的なことを、もやもやもやもやし続けていたらいつか何かの形になるのかもねという話。

 

元々大学(琉球大学)に進学したのも、当時米兵による暴行事件があって基地に対する反対運動が盛り上がってて、それを見て「琉大行けば身近に考えるべき社会問題が多そう」なんてのがきっかけではあるし(成績ももちろん理由としてあるけど)。もっと言えば、そういうこと考えたのは、中学生のころ学校に行かないで本多勝一の本だとかを読んで、「社会問題」や「差別」に関心を持っていたからなんだろうな…と思ったりすると、「下手すれば中学生のころに抱いていた『ん?』っていう関心が今の研究につながってる面もあるな」なんてことも思えたりして、何も知らない時代に考えていたことであっても馬鹿にできないなと思ったりするわけである。原点回帰と言えばいいけど、出発点からあまり進めてないとも言えはするか。まあきっといいことなんであろう。