観光の場と生活の場
勤務先(山口大学吉田キャンパス)は、湯田温泉の近くにあるんだけれども。今日の朝(8時30分ごろ)出勤していたら、湯田温泉当たりを浴衣と丹前姿で散歩してる、おそらく観光客の人がいて。結構ギョッとしてしまったり。
別にいいとも悪いとも思わないし、ちょっと落ち着いて考えると「まあ湯田温泉は観光地だしね」とも思えるし、もっと言えば、土日の夜だとかはそんな感じの観光客っぽい人はしばしばいるので、じゃあ「何で俺ギョッとしたのかな…」とか考えてみたりする。
で、仮説的に、
- こっちは生活の場だと思ってるのに、観光の場だと思ってる人がいた
- 平日の朝に観光スタイルの人がいた
の2点が「ギョッ」の理由なんだろうなと思い至る。んでおそらく普段も「1」の方を感じさせられることはあったんだろうけど、それは夜だったり休祝日だったりしたために「2」が発動せず、「ギョッ」感が薄くてあまり気にならなかったんだろうと。
自分が場に見出している意味と、あからさまに違う意味を込めている人(の行為)を目にした時って、なかなかびっくりするって話なんだろうな…とか考えていったら、何か研究のネタになりそうな気がしてきた。多分、「水着姿でコンビニ来るな」みたいなのも同じ話から出てる部分が多いんだろうし、もっと言えば、「場にふさわしい振る舞い(のズレ)」みたいな話とも共通しそうな。格好良く(?)言えば「TPOの裂け目を突き付けられる瞬間」みたいな話。繰り返すが、別にいい悪いの話じゃないけれど。